箙の梅

命鶴丸

郷土のおはなしです。
所沢市の三ヶ島地区には、「箙(えびら)の梅」とよばれる梅の木があります。
(箙とは、矢を挿して腰に結びつける武具)


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室町幕府を開いた足利尊氏と弟・直義の不和につけこんで、
新田義貞の遺児・義興、義宗らが挙兵。
多摩川から入間川の間の地で、次々に合戦が起こります。(武蔵野合戦)

正平7(1352)年閏2月28日、小手指ヶ原にて両軍が激突。
この時、足利方で18歳の饗庭命鶴丸(あえばのみょうつるまる)を大将とする六千余騎の若武者たちは、
付近に咲いていた梅の枝を折って、兜の正面に挿し、見方の目印として戦いにのぞみました。
(風流ですねぇ)

これを見た新田義宗、「若造が、かっこつけおって〜」と鼻で笑(ったかどうかは不明だが)い、
武蔵武士・児玉党の七千余騎に命じて、これに向かわせます。
それは、児玉党の旗印が団扇なので、風を起こして梅の花を散らしてしまえ!という意味でした。
(これまた風流ですねぇ)

戦の経験が少なく、深い考えもなかった若武者たちは、さんざんに蹴散らされ、退いたとのことです。。。
(『太平記』)

なお、江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』の三ヶ島村の項に
「花一揆の人々 梅花の枝を折って箙に挿したり」という記述が見え、
これにちなんで一帯の梅を「箙の梅」と呼ぶようになったと伝わります。
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箙の梅

上の写真は、現在の「箙の梅」伝承の木。
昭和初期には、東川に沿って30本もの梅の木が点在していたそうですが、
道路や河川の改修によって失われてしまいました。
そのうちの一本が、伝承の名残をとどめるため、現在の地に移植されたということです。


◆参考◆
『所沢史話』(所沢市教育委員会)ほか



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